自分の美点や他人の欠点について、あれこれ考えたりつべこべ言ったりすることは、ひかえた方がいいだろう。たとえするとしても、そのような判断はどれもあまり当てにならないことを強く心にとめておくべきである。なぜなら私たちは、自分自身とは死ぬまでつき合っていくしかないわけで、そのかけがえのない自分が他人より劣っているかもしれないという事実にはどうも耐えられない! そうした内心の葛藤から、自分の(そして他人の)イメージを勝手に作り変えてしまうことがあるからである。いや、ことがある、と言うだけでは足りないかもしれない。この点についての「公平な判断」などまったくありえない、とさえ言うことができる。だれもだれかの裁判官になる資格を持っていないのであり、判断はいつも保留にしておかなければならないのだ。

 したがって、そのような思考のあれこれ(私はこうだけど、あの人はああである)は、ほとんど当てにならないと考えていい。そして、さらにそれだけではなく、私は次のことを信じきっている。すべての人間があれこれの点では違っていても、その本質においてはまったく同じなのであり、だれ一人として例外はないということ、これである。なぜならどんな人間も、条件がそろえば「ほかのだれか」でありえたはずだし、しかもそれを決めたのは当人ではないのだから。私が私であることに理由はないのであり、私がなにを感じなにを考えるかすらそうなのであり、すべてはサイコロによって決められたようなものなのだから。「サイコロをふり直して、今度は違う目が出れば、ミス・キルマンのことが好きになることだってあるかもしれない!」のだから。

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