邪悪な人たちを憎むのはやさしいことである。しかし、「罪を憎み、罪びとを愛せ」という聖アウグスティヌスのいましめを思い出していただきたい。ある人が邪悪だと気がついたときには、「神の慈悲がなければまさに自分がそうなっていたかもしれない」ということを思い起こしていただきたい。
 ある種の人間を邪悪だと決めつけることによって私は、必然的に、きわめて危険な価値判断を行っていることになる。主イエス・キリストはこう語っている。「裁くなかれ。なんじ自身が裁かれざらんがために」。(…)他人を判断するときにはつねに十分な配慮をもって判断しなければならないし、また、そうした配慮は自己批判から出発するものだということである。
(M・スコット・ペック『平気でうそをつく人たち——虚偽と邪悪の心理学』)

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