愛憎が入り混じった感情

 この年齢になってはじめて、一度親しくなって(あるいはなりかけて)なぜかすれ違ってしまった人たちに対する、複雑な感情というものを学んでいます。愛していたり憎んでいたりがごっちゃになっている感情です。恋愛をした後にこうなるケースが多いとは思いますが、必ずしも恋愛でというわけではないようです。恋愛感情にせよ尊敬の念にせよ何にせよ、その人に対して抱いた感情が大きければそれだけ、不和があったときに感情がより複雑になってしまうようです。

 こういう場合の一番深刻なことは、心の中に生じる自分の感情を、この私自身ですら信用できないということでした。ましてや他人がそれを信用することなど、できるわけもありません。いまこの瞬間には愛着を抱いているとして、それを相手に伝えたとしても、いったい誰がそれを信用するでしょうか。一瞬だけ愛しているだとか、あるとき好感を持っているというだけでは、その人との関係を進める(あるいは修復する)上で、ほとんど役に立たないのです。

 この問題についてたくさん考えました。いついかなるときも愛する、いつでも親しくなるための心の準備がある、抱擁を交わすための両手をつねに上げている、そういう人間になりたいと何度思ったか知れません。いつでも愛するということができれば、相手がたとえそうではなくとも、いつかは必ず親しくなれるのですから。でもとにかく現時点で私はそれができない、要するに私は、愛にかけては大変な未熟者である、ということになります。

 いまの私にできることは、せいぜいこういった分析を文章にすることくらいです。この文章を読んでもらう、そしてその内容に同意してもらうことで、一定の(最低限必要であるくらいの)和解が生まれるかもしれないと考えているわけです。あなたと私との間にというよりかは(もちろんそれも重要なのですが)、あなたとその周囲の人たちとの間にです。いやそれだけでは全然足りない、むしろ腹が立った、という人もじっさいいるかもしれませんが……。

 この文章が、ごう慢さを帯びていないことを切に願っています。私はすれ違ってしまった人たちに対して、申し訳ない気持ちを抱いています。ときにはそれが深刻になり、もう何でもかんでも私が悪かったのだと思うことさえあります。しかし一方で、その反対のときがあることもやはり事実です。この文章は、そういった愛憎が入り混じった感情について、できるだけ冷静に、公平に、正直に述べようとしたものです、できるだけその内容を信用してもらえるように……。

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