私の頭の中にある、私がこしらえた倫理的判断(良いこと/悪いことの判断)は、私自身を評価することにのみ適用されるべきであり、私以外の人間を評価するさいの道具にしてはならない。なぜなら、まず第一に、そのような判断は私の頭の中にあるというだけで、ほかの人の知ったことではないからである。そして第二に、もし倫理にかんする私の意見を相手に伝えたところで、それに同意しろ、と主張できる理由など何一つないからである。

 また、私はさらに一歩進んで、「私に好かれたいのであれば、私が良いと思うような人間であれ。あるいは、少なくともその努力を示せ」というよくある言説にも陥らないようにしたい。もしも私が、自分の倫理にそぐわないという理由で誰かのことを嫌いになるとすれば、それはあくまで私の心の問題であって、その人のせいではない。なぜならそれは、客観的な良い悪いではなく私の好き嫌い、つまり恣意的な(=主観的で自分勝手な)判断だからである。要するにそれは、私の利己心の表れ以外の何ものでもない

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