礼儀正しさ/私の心の問題

 すべての人に対して謙虚で、礼儀正しくありたいと思う。「私は何よりもすべての人びとにたいして丁寧で、正直でありたいと思いました。いや、それ以上のものを、私から要求する人はいないでしょう」。誰も私からないがしろな扱いを受ける恐れのないよう、自分の心のあり方を模索していきたい。行為や態度ふるまいよりもまず、心のあり方を模索するのである。「こまかい心づかいや品格を教えてくれるのはその人の心で、決して踊りの先生じゃありませんよ」。ろくにものを言えなくたってかまわないから、態度ふるまいだけで選手に敬意を表明する、礼儀正しいボールボーイみたいになれたらどんなにいいだろう。

 じっさい世の中には、いわゆる性格の悪い、容姿の醜い、あるいは貧乏で汚いという理由で、他人を軽蔑する人たちがいる。そして恥ずべきことに、この私自身、誰かと話すときや誰かを見たときに、その人に対する醜い感情が心に生じることがあるのを否定することはできない。なるほど、そうだとすれば、これは私の心の問題である。私を困らせるようなことをする人がいるかもしれない、私自身が「こいつはどうしても受け入れられない!」と感じてしまうような人がいるかもしれない、(自分にそれほどの値打ちがあるとは思わないが可能性としては)しつこく付きまとってくる危険な人というのがいるかもしれない。それでも依然としてあるのは、私の心が一人の人間に対してどのような反応をするか、という私の心の問題なのである。

 世の中と他人にいちゃもんをつける、あるいは平和を訴えようかな、その平和を害するような人は地獄にでも堕ちればいい、と心の中でつぶやくことがあるとする。しかしもし本気で「世の中を良くしたい」だの「他人を良い方向へ導きたい」だのと思うのであれば、あるいは「世界平和を考えている」だのとぬかすのであれば、私はヒロイックな空想に心を奪われることなくさっさと現実的になって、世直しをするなどと偉そうなことを言うのではなく、私自身の心の方をこそ治療しなくてはならないのだ。醜い感情が生まれることのある私の心が治り、私の心がいくぶんましになるとき初めて、世の中もまた良い方へ向かっていくのだし、世界の善悪のバランスがいくぶん善に傾くのである。そのような道のりでしか世の中は良くなっていかないのである。

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