人前で話したり、ジェスチャーしたりするとき、私たちは何も考えることができない。目で見、耳で聞き、手で触れることのできる外の世界に注意を払っているとき、私たちは何も考えることができない。なぜなら、話すことと考えること、見ることと考えることは、まったく正反対の営みだからである。話すことや見ることは外の世界の営み、考えることは内の世界の営みであり、私たちは、両方の世界に同時に存在することはできないのである。そのため「見ながら考えている」とき、実際はそうではなく、直前に見たものを思い出しながらそれについて考えているのである。考えているとき、網膜に外の世界の事物が映っていても、もはやそれを知覚はしておらず、内の世界に現れるイメージだけを「見て」いる。

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