未熟な考え

 音楽を聴きながら夜を歩いている最中、心にふつふつと湧き上がってきたのは、いかにも未熟な若者が考えそうなこと! 私たち(僕たち?)は新しい時代の担い手であり、社会を改革する者であり、人々に働きかける人々の一人である、なぜなら「百万の頭は一人のそれよりも優れている」から! ——若いねえ、まだ、そんなこと考えてらっしゃる? ええ、ずっとこんなこと考えながら、きっと歳をとると思います(文句ありますか?)。——だけど、そういう決意だけで、お前はどうせ何もしないし、するにせよ、大したことはできないでしょうよ。たしかにそうかもしれない。未熟といえども、そう言われてすぐにかっかするほど、未熟な自分ではない。分かっています、「社会を改革する」うんぬんは、人々のエンパワメントと解放は、スポットライトに照らされた舞台でなされることではないし、ファンファーレもない! 暗いところで、少しずつ地道になされる活動で、結果が目に見える形で与えられるかも分からないような、気が遠くなるほど、途方もない道のりである。分かっています! ——お前にそれを耐えぬく覚悟があるんですか。ふん、いまは何も言うまい(何も!)。すべての結果は、死ぬその寸前に、神さまがおれの心の中で答えてくれる!

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