デカルトの「われ疑う、ゆえにわれ在り」以降、神さまについて、せいぜい私たちに言えることは、「この世の秩序のために、神さまは必要である」くらいのものである。この場合、神さまは、目的を達成するための手段となっており、信仰と呼べるものはすでにない。

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