邪悪なコミュニティ(?)

 宗教やカリスマ的人物には、部外者が悪口を言えば言うほど、そこに集まる人たちの結束が強まる(コミュニティが強固になる)という実に奇妙な現象がある。邪悪なカルト宗教なんか特にそうだが、真っ当な宗教にもこの現象は見られる(ことがある?)。

 そもそも、邪悪か真っ当かの違いは何? → そんなの神さまにしか分からない(あるいは、違いなどないのかもしれない)が、私が思うに:閉じているか開いているかの違い。

 中心人物(教祖、カリスマ)が、悪口を言ってくる人たちを進んで排斥し、閉じたコミュニティが形成されていれば、邪悪。中心人物が、彼をとるか彼以外をとるかの二者択一をあなたに迫ってきたら、邪悪。中心人物を頂点とするヒエラルキーや蜘蛛の巣があれば、邪悪。そして最後に、中心人物が以上を意図していようがいまいが、現にそうなっているならば、そのコミュニティは、私が思うに、邪悪(意図していないとすれば、その人自身、大変な苦しみを負っているのだ。あなたがその苦しみと心中するかは考えものだが)。

 だが一般に、邪悪か真っ当かなんて、たかが人間にジャッジできるわけもない。目の中の梁ではないが、一体誰が公平にものを見ることができる? 解釈ではない真実などこの世界にあるのか。あったとして、誰がそれにたどり着けようか。もし真実などないとすれば、どうやってまともな気持ちで人生をやっていけるのか。恐ろしいことだ。自分の頭がまともか狂ったかをどう見分けるのか。何が正しいか分からないなんて、本当に、本当に恐ろしいことだ。正しさの尺度を与えてくれ。くそっ。

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