国家権力とは誰か

 国家権力を制限するために日本国憲法がある、という考え方は、明らかに憲法の本質を欠いている。憲法にそういった性質があることは否定できないとしても、あくまでそれは二次的な性質にすぎない。なぜなら、天皇が国家権力そのものであった戦前の「憲法」とはちがい、「天皇ではない。私たちこそが国家権力だ」と互いに約束し合ったのが日本国憲法だからである(憲法とは本来そういうものである。明治「憲法」は憲法ですらない)。したがって、戦後の憲法下で、国家権力が国民の権利を侵害することがあるとしたらそれは、国民が国民の権利を侵害しているのである。もっと言えば、政権を選ぶのは大衆(=多数者)であるから、多数者が少数者の権利を侵害しているのである。権力が腐敗するとき、一部の政治家だけが腐敗するのではない。国民がまず腐敗するのであり、政治家はその代表にすぎない。嘆くべきは、政治家の政治的無能力ではない。国民の政治的無能力である。要望するのが国民の仕事、要望に応えるのが政治家の仕事だと思ったら大間違いである。私たちの要望に私たち自身が応えるのである。政治に専門家などいないのだから。

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