私的なことに偏りすぎる「人びと」

 政治の腐敗は政治家のせいであって、私には何の責任もないのだから、国・社会という船が沈みかかっているとき、その船を修理するのは私の義務ではない、私は自分が生き延びることだけを考えてよい。——こういった態度は、政治の本質をあまりにも欠いている。というのも、選挙によって、そしてそれ以上に、私たちが常日頃なんとなくしている合意形成のやりとりによって、私たち「人びと」が政治家によって代表されていくそのプロセスにこそ、政治の本領があるからである。政治家とは「人びと」の代表にすぎない。したがって、政治家が腐敗するとき、それよりも先に「人びと」が腐敗していたのである。社会に問題が起こったとき、それまで自分の人生という私的な事柄への関心しかなかった「人びと」が、思い出したように政治の方を向き、政治家のていたらくを責め始める、そして今後ますます私的利益の追求に汲々としてよい理由をそこに見いだす、その責任転嫁のあり方は、およそ政治というものを理解していないとしか思えない。政治家を責めること・批判することはもちろん重要だが、それと同程度に、私的なことに偏りすぎる私たち「人びと」自身を責め・批判しなければいけない。

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